お岩は伊右衛門を愛していたのか~お袖という生き方
袖という存在は、南北によって創造された人物です。実説四谷雑談では岩というのは一人娘ということになっています
なぜ、お袖という「妹」を敢えて南北は創造せねばならなかったか。それは武家の側に立つ岩と、町人側に立つ袖という対比を強調する必要性があったからではないのか?今、そんな風にあたしは考えています。
それは、今日、実家に来る電車の中で読んでいた既出小池壮彦著「四谷怪談祟りの正体」にあった一説が大きいんですが。。。
実はこの本、「祟り」が前面にあるため、途中で読むことをやめようかとまで思ってたんですが、お岩稲荷を守る田宮神社の存続の考察が始まった辺りから俄然、面白くなって読みふけってたんですね。で、詳細は家に帰ってから明日明後日にもお話しますが、田宮神社側が語る「四谷美談」というのがありまして(実はお岩は貞女であり、生涯幸せに暮らしたという話)その話を取り上げた岡本綺堂がこう語ってるんです
「お岩稲荷については、下町派即ち町人派の唱えるところは一種の怪談で、山の手派即ち武家派の唱えるところは、一種の美談であるらしい。尤もその事件が武家に関することであるから、武家派は自己弁護のために都合のいい美談をこしらえ出したのかもしれない」
いや~~~~~~~~~~~。これだ!!!!!と思いましたですね、あたしは。
南北が忠義の鏡の忠臣蔵へのアンチテーゼとして四谷怪談というものを世に送り出したのなら、武家の美談の四谷雑談(その元の四谷美談)を四谷怪談として定着するために何らかの工作をするというのは、いかにもな話じゃないですか。というか、もしあたしが南北なら、四谷美談を否定するための四谷雑談強調はしまくるに違いない。
そして、それを強調するために、袖という「架空の妹」は必要だった。
正に、我が意を得たりというのはこれだと、京都から吹田に向かう阪急電車の中で痛む右膝をさすりながらほくそえんでたのはあたしです
では、袖とは誰なのか?
実は、これがこの1年であたしが研究するテーマなのです。最初は単純に、深作版四谷怪談を中心に研究してみたいなと思ってたんですけど、様々な資料を追っていくと、四谷怪談で研究し残されてる部分に、この「妹・袖」の存在があるんじゃないかと気づいたんです。あまり陽は当たらないけれど、実は彼女の存在というのは考えるべきなのではないか。。。というか、彼女を追うことによって岩という人の陰影はより深まるのではないか。。。
1年かけて追わねばならない人なんで、今は概説にとどめますが、今現在の段階であたしが考える「妹・お袖」とは誰か。。。それのありようが岩と伊右衛門の愛とどう対比するか。。。
お袖というのはいうまでもなくお岩の妹ですが、実は彼女は血を分けた妹ではありません。彼女がどういった経緯で民谷左門の養女になったのか、その詳細は南北も描いてなかったと記憶します(書いてたらごめんなさい)
先にばらしてしまうと、というか、既に「あらすじ」の項で言ってしまってますが、彼女は奥田将監の中間直助の妹です。父は元宮三太夫というらしいです。三太夫というと、これが実は。。。と、今、あたしは思い当たってしまったんですが。。。
「仮名手本忠臣蔵」で有名なおかる勘平の、勘平の父は三太夫といいます。勘平は早野勘平なんで、元宮ではありませんが、その勘平の父三太夫は国許にある時、御用金紛失の咎を受けて切腹した人です。。。これはかなり面白い話になってきたな、と思うのはあたし一人かもしれませんが。話が脱線してきました。先を急ぎます。
しかし、名字帯刀を許されているやも知れぬ「元宮三太夫」が子の直助と袖ですが、直助の現在の身分はあくまで中間小者です。中間だの小者だのというのは武士階級の出ではなく、身分卑しき出なれば切腹も許さずという階級に属します。「武家」ではありません。
袖はたとえ今は民谷左門が養女袖であろうとも、その血には武士が流れているわけではない。。。はずです。(ここら辺りがあたしが多分、今後見極めねばならない部分で、もしその血が武家でとかだったら、話はまた違ってくるんですが。だから、袖=非武士階級の出というのは、あくまで仮説として展開します。三太夫の謎に気づくんじゃなかったなァ。。。失敗したかなァ。。。)
すると、なにが現れてくるかというと、武家対町人(非武家)という構図です。その出自の違いが、岩と袖の性格の違いとして現れてくるということです。
袖という存在は、実は映画群の中ではその殆どに登場はするのですが、軽んじられることも多い役柄です。大体、四谷怪談を描く時にはその基本は岩に対する伊右衛門の加虐と、岩の復讐というものが主軸にあるわけで、だからこそ「怪談話」として成り立っているわけで、袖というのはその名の通り、袖にされることも多い役柄です。
上杉祥三の舞台「暴君(ブロークン)四谷怪談」で袖が登場した時、自らの名を
あんたみたいなヤナ男を、袖にするからお袖だよ
という台詞で説明するのですが、で、あたしはこりゃいいわと思ったんですが、しかし実際は袖自身が袖だか刺身の妻だかにされまくっています。深作版の「忠臣蔵外伝四谷怪談」では袖はついに出てこず、岩が袖をも兼ねた性格として登場してくるという、とんでもないことになっています。(言っておきますが、それ自体をどうこう言っているわけではありません。これが古田求と深作欣二による「四谷怪談」を描く時の選択であるから、それはそれで構わないんです)
実際、現行の歌舞伎でも髪梳き・戸板返しといった場面が中心になってしまい、袖や小平が活躍(?)する4幕目は省かれることも多いんです。袖はまだしも、小平は4幕目があって初めて成仏できるんで、これじゃ文字通り浮かばれないのは小平なんですが。。。
あたしが今まで観た映画で一番、面白く袖が描かれているのは豊田四郎版「四谷怪談」で池内淳子が演じるお袖でした。これは直助に中村勘三郎が扮していることもあって、かなり面白い三角屋敷が描かれているのですが(池内淳子は中川信夫版ではお梅に扮していますが、殆ど台詞もなく、お人形さんみたいな役柄に甘んじているんで、このお袖役は我が意を得たりだったのかな?とも思います)オキャン(死語ですが。。。分かりますか?)な、生活力と決断力のある、可愛くてしっかりした市井の女房という感じがとても出ていてステキでした。
蜷川版「魔性の夏四谷怪談」のお袖は夏目雅子が演じていて、これは「銀幕の百怪」(泉速之著・青土社2000年)だったかな?に美しく健気で印象深いお袖だったと書かれてたんですが、個人的にはもう一度、これを観直さなきゃいけなくて、ちょっと不案内です。ごめんなさい
お袖は町人の出ですが、しかし、民谷家養女であり、武士の娘という躾は受けて育った女性です。ですから肝心要のところでは男に肌身を許さぬ気位の高さも持ちますが、その身の軽さは市井にある人の血だなあという印象を受けます(原作の印象ですが)
「四谷怪談は面白い」(横山泰子著・平凡社)で横山は昭和43年7月の「季刊歌舞伎」に寄せられた石沢秀二(演出家)の文章を引用した上で
直助はおそらくお袖がおとなしく自分の女房に落ちついてくれさえすれば、ちょっとした盗みや詐欺をしながらでも、幸せな生活を営もうとする、小市民的な男だったのではないか。
と書いていますが、あたしはそれをお袖の側にも感じます。
お袖と、仮とはいいながら所帯を持ち、鰻かきをしてまっとうな生活を続けようとする直助に、洗濯・香花売りをしながら生活を側面で支えるお袖の姿はとても似合いだったんではないでしょうか。
三角屋敷の場の冒頭で、出入りの商人や馴染みの客や蜆売りの坊(実は小仏小平の息子)と会話を交わす袖は生き生きとした市井のおかみさんそのものであり、仕事から帰ってきた直助権兵衛との会話にも若夫婦のほんのりした色気や愛情がそこはかと感じられます。
袖と直助は、あくまで「父さん・与茂七の敵の助太刀」を図って肌身を許さぬ仮の所帯を持ったわけで、その最初には実は直助の首尾を岩ともどもどこかで疑ってかかっていたかもしれないお袖なのですが、岩・伊右衛門夫婦と同じく貧乏所帯で米や酒の払いにも事欠く袖・直助権兵衛でありながら、その生活感は正に陰と陽・ネガとポジの趣を示しています
男と女がたとえ仮とはいえど所帯を持てば、情が通ってくるのは当たり前といえば当たり前の話です。敵をと思いながら、袖に敵討ちへの悲壮さは、どこか希薄です。ひょんなことから与茂七の出現がなければ、もしかすると二人はいつまでも幸せな生活を続けていたのかもしれません。そして、それがやはり、町人出の袖と、芯から武家の岩の差でもあるのだと思います
しかし、直助も袖も、出は軽輩ながら、方や武家に奉公したものであり、方や武家の養女です。二人が引き裂かれたのは、二人の中にある錯綜するアイデンティティの故だと思います。
そして、あの悲劇は起こります。。。。。。
お岩は伊右衛門を愛していたのか(3)
で、ま、既にして温度差を抱えながら、とにもかくにも「敵討ち」という共通項を(たって実の敵は伊右衛門その人なわけだから、とりあえず表向きの共通項を)掲げて二人は一緒になり、子供も無事に生まれる。生まれるんだけど敵が見つかるわけでもなく(そりゃ当然だ)生活も貧苦の度を深めるばかり。オマケに岩は産後の肥立ちが悪くて臥せるばかり。生活というのは悲しいものです。どんな愛も冷める、こともある。ましてや二人は温度差を抱えて一緒になってるわけです。深いところで何かがすれ違い続けたであろう事は想像に難くない。
そして、ある日、岩は伊右衛門の留守に、こう呟きます。前出諏訪春夫篇より引用です。
常から邪険な伊右衛門殿、男の子を産んだというて、さのみ悦ぶ心ものう。なんぞというと穀潰し、足手まといながきを産んだと、朝夕にあの悪口。それを耳にもかけずして、針の筵のこの家に、生傷さえも絶えばこそ、非道な男に添いとげて、辛抱するも父さんの、敵を討って貰いたさ。
またしても「父さん」です。父の敵をとるという一念があり、女の、しかも子持ちで病気がちの女の身ではそれを一人で果たすのは難しいから、とにかくどんなにひどくされても邪険にされても、耐えて耐え抜いて敵をとってもらうまでは。。。という、それが岩が伊右衛門と共にいる最大の理由なんです。
敵討ちというのは基本的には武家の慣習(?)です。江戸時代には百姓町人にまで敵討ちが奨励され、見事仇を討ったものは百姓であれど士分に取り立てるということまで行なわれていたこともあったのですが、基本は武家の発想です。父の敵をとってもらうために今は艱難辛苦を乗り越えて、耐え難きを耐え、偲び難きを偲び。。。え?それって忠臣蔵じゃん。と思った、そこのあなた。あなたは正しい
お岩は既に、一人忠臣蔵だったんです。一人忠臣蔵でただただ敵討ちの日を待つ岩に、愛の暮らしは二の次です。というより、多分、敵討ちさえ成し遂げれば、岩は伊右衛門が死んだとて父が死んだ時ほどには嘆かなかったのではないだろうか?そんな風にあたしは思います。
でも、ちょっとタンマ。じゃ、これはど~なるわけ?という場面が、しかし、実はひとつあります。
中川信夫版・豊田四郎版・森一生版などでもそのまま使われている、次の伊右衛門と岩のやり取りです。
お岩:モシこちの人、お前わたしが死んだなら、よもや当分。
伊右衛門:持ってみせるの。
お岩:エエエエエ。
伊右衛門:女房ならばじきに持つ。しかも立派な女房を、おらあ持つ気だ。持ったらどうする。世間にいくらも手本があるわえ。
それを聞いた岩は取り乱し、泣き狂う。これは愛ゆえの嫉妬じゃないのか?と仰る向きもござんしょう。
しかし。ここに実は罠がある。というか、ここで切るのが映画的嘘。映画的解釈。映画的切ったり貼ったり繋いだり。
南北は、このやり取りに続けて、こう書いています。
お岩:コレ伊右衛門殿、常からお前は情けを知らぬ邪険な生まれ。そういうお方を合点で添うているのも。
伊右衛門:親父の敵を頼む気か。コレ、いやだの。今時分、親の敵もあんまり古風だ。よしにしやれよ。おれはいやだ。助太刀しようと請け合うたが、いやになったの。
お岩:エ、そんなら今更、あのお前は。
伊右衛門:オオ、いやになった。いやならどうする。それで気に入らずば、この内を出てゆけ。他の亭主を持って、助太刀をして貰うがいい。おればかりはいやだの。
お岩:お前がいやと言わんしても、他へ頼まん便りものう、女の手一つ。さすれば願いも叶わぬ道理。
そう。あくまで岩の第一義は「敵討ち」です。武家の女としての、武士の娘としての彼女のプライドがガタガタと崩れていく場面です(実は、ここで既に彼女の「顔」が崩れているのですが、彼女はまだ自分の顔に起きた異変を知りません)
男が自分の死後にすぐに新しい女房を持つこと。それは愛よりもプライドを傷つけられることです。女としてのプライドです。
彼女は、それが何より耐えられない。
岩はその後、宅悦から自分の顔の異変を見せ付けられ、隣家の企てをすべて知らされて、「乳母はしためにまで」嘲られていたことを知り、「礼を言う為」産後につけてはならぬと言われる鉄漿までもつけようとしました。それをつけ、女としてのたしなみに髪を梳いて、女を造って隣家に赴こうとしました。しかし、それは結局成らず、彼女は死んでしまいました。
武士の娘・武士の妻。ぎりぎりで保たれていた彼女のプライドは、あらゆる側面から傷つけられ、貶められ、だから彼女は「死ななければならなかった」のです。
岩はいつまでも一人忠臣蔵のど真ん中で敵討ちの日を待つことは許されなくなっているのを、周囲の悉くから突きつけられ、せめてもの武士の面目のために、自害した。。。。。。
今、あたしは岩の死を、こうみます。。。。。。
武士としてあった岩は、武士であるために死に、そしてその後、武士として「女以上のもの」となって敵討ちを始めるのです。彼女の一人忠臣蔵は、だから彼女が死ぬことにより、初めて成就されるものだったのです。
そして。。。。。。その背後に、「愛」はとうの昔に消えていた。もしくは、最初からなかった。。。。。。それが、現在のあたしの結論です。。。。。。
お岩は伊右衛門を愛していたのか(2)
蜷川幸雄という人は、よほど「四谷怪談」に思い入れがあるのか、現在までにこの題材で2本の映画を撮っています。萩原健一・高橋恵子を主演とした「魔性の夏・四谷怪談より」(この映画で特に印象的だったのは、お岩と伊右衛門が芝居小屋で「累」のカサネ殺しの場を見ているところでしたが)と、最近の「嗤う伊右衛門」です。でも、蜷川さんという人はもともと世界に名だたるお芝居の演出家でして、舞台にもちゃんと「四谷怪談」をかけてるんですね。
これは広末凉子や村上淳・高島政伸ら若手俳優を配し、竹中直人・藤真利子の伊右衛門・岩という夫人のお芝居で、南北の台詞に忠実なんですが、残念ながら今の俳優さんに江戸言葉のニュアンスはうまく出せないと見えるのがちょっと。。。という作品です。DVDも発売してますが。。。かなり言葉が聞きにくいのは否めません
で、いきなり、なんだってこの蜷川版「四谷怪談」を持ち出したかというと、この作品のラストが非常に気になったからなんです。
岩が哂う。。。ということはいくつかの研究や書物でも言及されています。映画でいえば殊に印象的だったのが森一生版で、ラスト、佐藤慶の伊右衛門が袖と与茂七に討たれて場所もあろうに岩を打ち付けた戸板を流した橋の上から落ちて死に、その川が大写しになって稲野和子の岩の哄笑がかぶるというものでした
お岩さんの「笑い」というのについては、又いずれお話しすることもあるかもしれないんで、それについてここで深く入ることはしません。又脱線してとんでもなくなると困るんで(^^ゞ
ただ、蜷川芝居版の藤真利子は、最後、蛇山庵室で縦横無罪に現れては消えながら、竹中直人を指差して大笑いするという、そこだけ見れば単なる狂女の高笑いとしか思えない、殆ど醜態としか思えない笑い方をするんです。藤真利子という人は、たださえ怖い顔。。。ぽい人なんで、これがお岩さんのメイクをして狂笑すると、それは怖い。怖いというか、異様です。
これは、もう、単に竹中直人が右往左往しているのを指差してバカにしているとしか思えない。そこに、当然「愛」の「あ」の字も見えません。
映画で言えば、中川信夫版・先にあげた森一生版・そして毛利正樹版が、こちらの路線に近い。岩は自分を陥れ、死に至らしめた伊右衛門をただただ「呪う」ということに、死後の全身全霊(かなり矛盾した言い方ですが。。。)を賭けている。
片や、「死んでもなお伊右衛門を愛する岩」もしくは「伊右衛門に陥れられたことを知りながら、完全に伊右衛門を嫌いきることができない岩」という構図を描いている作品が、三隅研次版・深作欣二版・豊田四郎版・そして蜷川の2作品だと(嗤う伊右衛門の映画は観てないんですが、原作にテイストが忠実なら、そういうことになると思います)いうことになります。
中でも、豊田四郎版と深作の「忠臣蔵外伝」は伊右衛門の死した後、岩が昔の美しい顔になるということもあり、まるで「愛の純粋結晶」のような様相を呈している(中川信夫版でも岩は伊右衛門を取り殺した後、昔の美しい顔で稚児と共に成仏するのですが、こちらはそこまでに至る経過が違います)岩が美しさを取り戻すといえば、水木しげるの漫画(伊右衛門の肩に岩の顔の人面痩ができて、事の起こりは地獄での竜族と天邪鬼族の「忠臣蔵」だったというとんでもない設定ですが)四谷怪談も、最後は美しい顔の岩が伊右衛門の霊を導いて共に成仏するという、とても美しい結末になっています
岩と伊右衛門の愛があるかないかで、「四谷怪談」は実はその最終結末において180度の差異があるんです。で、観る側・読む側としてどちらが最後に救われるかというと、そりゃやはり「岩と伊右衛門は様々な要因によって想いの齟齬があり、それが両者に最悪の形での奇禍をもたらしてしまったが、実は二人の心は奥底でつながっていた」という解釈の方だと思います。
では。肝心要の大南北、四世鶴屋南北は「岩と伊右衛門の愛」をどう考えていたのか?ということになります
岩と伊右衛門は最初から愛し合ってないというわけではありません。というよりは、事の最初は、実は二人とも熱烈な相思相愛だったんだろうと思います。
序幕において舅民谷左門と行き合った伊右衛門は、二人の仲を裂いた左門にぬけぬけと「互いにあきもあかれもせぬ仲」と言って憚りませんし、左門もまた岩と伊右衛門が「転びあった」ことを認めます。転びあったというのは、親の承諾を得ずに勝手にくっついたくらいの意味で、ま、いうなれば二人は駆け落ちまでして子を成した仲だという事です。おまけに「転びあった」後、正式に岩を娶るために伊右衛門はお国の御用金にまで手をつけて結納として左門に渡している。ほれた女を手に入れるために犯罪まで犯すというのは、これは並大抵の愛じゃありません。更に岩を返さない舅を結局、手にかけるという大罪まで犯すのですから
伊右衛門は、その後はどうあれ、間違いなく「最初は」岩に惚れていました。そして、岩もまた、伊右衛門に惚れていたのだと、思います。
なんせ、伊右衛門は隣家の梅が一目惚れし、恋煩いにかかるほどの白皙の美男子です。岩もその美しさに引かれ、伊右衛門も岩の美しさにひきつけられ、親の許さぬ仲なれど、二人は美男美女の似合いのカップルであったろうと思われます(しかし、その美しさが逆に災いして岩は毒を盛られることになるのだから、人生というのは皮肉です)
ところが無理に別れさせられた後、なおも岩への恋情が募る一方の伊右衛門に引き比べ、家に泣く泣く連れ戻されたはずの岩には連れ戻されている間に温度差が既にできています。
左門と与茂七(実は奥田庄三郎)が殺されたことを知った直後の岩・伊右衛門・袖のやり取りを、既出諏訪春夫篇「東海道四谷怪談」より引用します。長いですが。。。
お岩:つらい貧苦のそのうちも、言うに言われぬ才覚して、一日送るも父さんを、少しは楽にさせましたいと思うばかり。その父さんとあえなく別れ、なに楽しみ世の中に、生きていらるるものぞいなあ。
お袖:そうでござんす。姉妹互いに隠しおうて、つらい苦しい恥ずかしい、苦労をしたも皆むだ事。とりわけ恋しい与茂七さんに、逢うて嬉しと思う間もなき別れとは情けない。いっそ逢わぬその前に、死んだと聞いたらあきらめらりょう。夢見たような女夫の縁。
お岩:親の死骸のこの場にて。
お袖:夫とともに親子四人。
お岩:あの世へ一緒に。
両人:そうじゃ。
伊右衛門:こりゃ、うろたえ者め。今姉妹が自害して、親夫の敵は誰が討つ。
両人:エエ。
伊右衛門:妹お袖は親夫、一度に別れしその悲しみ、死のうと言うは尤もなれど、姉のお岩は現在の夫を捨てて相果てなば、孝は立っても操が立つまい。
お岩:でも別れたる夫婦仲、今さらどうも。
伊右衛門:さあ、あきもあかれもせぬ仲にて、ことには懐妊。子まで籠りし女房を、なにとて身共は見捨てねど、舅の心に叶わぬゆえ、まず逆らわずに戻したが、死なれてみればさし当たって、去り状やらぬ女房の親。このままにも捨て置かれず、身共が為にも親の敵。
お岩:そんならこれから伊右衛門殿、頼りとなって親の敵を。
伊右衛門:知れたこと。女房の親は身共が親さ。
お岩:なるほど、相対で別れたとは言うものの、去り状とらねばやっぱり女房。
伊右衛門:親の敵は身共が討たす。気遣いせずとこれから一緒に。
お袖:あかれぬ仲ゆえもともとへ、お帰りなされて父さんの、敵の助太刀になるはお連れ合い、お羨ましいおふたりさん。わたしはどうでも。
伊右衛門は岩とヨリを戻すために舅を殺したようなものです。直接の動機は彼の犯罪がばれてたことですが、なにが何でも岩と一緒になりたい伊右衛門と、なにが何でも岩を伊右衛門に戻すつもりのない左門。御用金の件がなくとも、舅殺しはいずれなされたことでしょう。
そうまでした伊右衛門の思いをなに斟酌することなく(ま、殺したのが伊右衛門だとはつゆ思いもしないわけだから、斟酌どころではありませんが)目の前に恋しい伊右衛門が久しぶりにその美しい顔で立っているというのに、ただひたすら父さんがいなくなればなんの楽しみもないと言って憚らぬ岩。
伊右衛門は岩のお腹に二人の子がいるということを口に出すのに、岩はそれを言われても、そのことに自らはまるで触れることをしません。
大体にして、この岩という人は母性というものが決定的に欠如しているとあたしは思ってるんですが、これに関してはこの「愛の問題」に決着つけた後、触れることにします。
伊右衛門が、だって俺たちは夫婦じゃん。好き合って一緒になった仲じゃん。だからさァ、また一緒になろうよぉ。と宥めすかし喚くのに、岩ときた日には、だって一旦別れたんでしょぉ、ど~すんのよさ。と腰は引けていくばかり。で、伊右衛門は、でもさァ、そ~はいっても別に、俺らは「引き裂かれた」わけで、俺から離縁状渡したわけじゃないんだしさ、親の敵討ってあげるからさァ。と、最後にはそれで釣るしかない有様。で、岩は、なるほど。。。なるほどですよ。なんなの、それェ。。。とか思いません?なに、その気のなさはァとか。で、最終的に岩は「頼りになって敵討ってね。だったら一緒になるしぃ」って事なんですよ、ここで交わされてる会話というものは。既にして、伊右衛門への「愛」というのは。。。。。。ない。と、あたしは断言する
お岩は伊右衛門を愛していたのか
え?伊右衛門の悪に戻るはずじゃなかったのか?と思っている方。ど~もごめんなさいm(__)mでも、実はこれは「伊右衛門は悪か」にも多分、通じてくる話なんです
実は今日、中川信夫版「東海道四谷怪談」を観ておりまして、ふと思ってたことなんですが。。。
この映画では、お岩は伊右衛門によって毒を与えられたという設定になってます。この映画の冒頭は歌舞伎舞台のようになってまして、長唄が粗筋を語ってしまうんですが、そこで既に「伊右衛門に毒を盛られ」という歌詞が出てくる。で、あたしは、えっ?そ~なの??とか思ったんです。
原作と映画は違うものだというのは、ま、普段からあたしが叫び喚いてることなので、ここで原作はだってさァと言い立てたところで、まるっきり説得力はないんですが。
伊右衛門が積極的に薬を飲ませたという設定で忘れられないのは、木下恵介の「新釈四谷怪談」です。この映画は実は「幽霊」がまるで出てこないという(出てくるのは殆どが多分、伊右衛門の妄想であるという)不思議な四谷「怪談」で、伊右衛門も戦後(1949年に作られた映画なんですが)の世相を反映してか、悩める民主主義青年といった様相を呈しておりまして、これに挑んだのが白皙の美男俳優、上原謙。今や加山雄三の父親といったところで、その加山雄三さえ通じない時代になりつつありますが。そしてなんと。あの!田中絹代がお岩を演じてるんですが、これがなんと妹お袖と一人二役という、これは実に怪作でもあります。
で、この新釈四谷怪談において伊右衛門がお岩に血の道の薬と自ら薬を渡し、お岩はそれをありがたがって飲むんですが、上原謙が止めようとするシーンとかがある。飲ませたくないなら渡さなきゃいいのにとも思いますが、そこはそれ、なんせ敵は四谷怪談ですから、やっぱり「毒薬」がないと始まらない。
で。中川版でも岩に直接、それと知って薬を渡すのが天知茂演じる伊右衛門なわけです。
ここでは梅の乳母であるお槙が直助の実母であるという、とんでもない事実がほんの一カットつけられてて、そこから最終的に伊右衛門に薬は渡り、岩へ。。。という形になる、ようなんですが。とにもかくにも岩に直接引導を渡したのは伊右衛門である、ということにはなるわけです。
で、全ては伊右衛門のせいだと宅悦に聞かされた岩は、おのれ、この怨み。。。となるわけなんですね。で、惨劇は始まるんですが。。。
ふと思ったのはそこからです。
ここでは伊右衛門が薬を渡して岩を亡き者にしようとした→岩が鬱陶しくて梅と一緒になろうとした。という図式しかない。あ、この映画では、です。
となると、伊右衛門と一緒に伊右衛門を奪った梅を殺すのは分からんでもない。しかし、お槙や舅までなんで殺す必然性があるのか?と、思ったんです
この映画を見る限りでは、岩はお槙が薬を最初に渡したということまでは知らないはずなんです。増してや、お梅の親(伊右衛門の舅)にはなんの罪科も描かれない。伊右衛門憎しが余ってついでのことに伊東一家を脅しこそすれ、取り殺す必然性というのはひとかけらもないわけなんです。彼女の憎しみというのは、この映画ではただひたすらに伊右衛門一人に向かっているはずなんですから。
では、なぜ、原作では、もしくは他の、例えばというか一番象徴的な「忠臣蔵外伝四谷怪談」で岩の怨念は伊右衛門を含み、更に伊東家一族に向かったか。。。
それは、「岩が伊右衛門に殺されたのではないから」です。
2幕・四谷町の場
より引用です。
>伊右衛門の隣家に住む伊藤喜兵衛は乳母のお槙に何くれとなく料理や着物を届けさせていましたが、今日は血の道に効くという伊藤家に伝わる妙薬を持参してきました。お岩はそれを有難がっていただきますが、その薬こそが飲めば面体崩れる恐ろしい毒薬だったのです。
お岩がまさか、そんなことになっていようとは思いもしない伊右衛門は、能天気に長兵衛・官蔵と共に伊藤家を訪れ、小判や小粒入りの吸い物を振舞われています。喜兵衛はお梅の恋心を打ち明け、嫁に貰ってくれぬかと伊右衛門に聞きますが、伊右衛門は妻ある身と断ります。それを聞いた喜兵衛は実はかくかくしかじかと、毒薬を届けたことをコクります。伊右衛門は、ほいじゃと、嫁取りと引き換えに高家仕官を喜兵衛に約束させます。
民谷家に来ていた宅悦はお岩の苦しみようにアタフタしてましたが、その顔の変化に腰を抜かさんばかりに驚き、理由をつけて家を出ます。帰ってきた伊右衛門はお岩の顔の凄まじさに驚きますが、逆に肝が据わり、蚊帳や着物や櫛を質草にと取り上げようとします。
伊右衛門は宅悦に金を掴ませ、岩と不義をするようにと言いつけます。宅悦はこわごわ密通をしようとしますが、岩の激しい抵抗にあい、実はこうこうと全てを打ち明けます。怒り狂った岩は伊藤家に「礼」を言いに行くと宅悦に鉄漿の用意をさせ、髪を梳きますが、梳くそばから髪は抜け(この辺りが有名な髪梳きの場です)握り締めた抜け髪から血が滴ります。あまりのことに憤死したお岩は更に念入りに、自分が宅悦に斬りかかった刀(柱に刺さってたんですよ)で首を切り裂かれ、完全に死んでしまいます。(ここんとこ、よく覚えといてください。お岩は「自分で死んだ」んです)
岩は伊右衛門に殺されたのではなく、伊右衛門を婿にと切望する伊東家の、喜兵衛とお槙の共謀によってまず毒を飲まされ、顔が変貌しました。しかし、それは「岩を殺す薬」ではありません。
「忠臣蔵外伝四谷怪談」で伊藤喜兵衛の石橋蓮司(この映画の伊東家の人々は皆さん、ムチャ怖いです。白塗りお化けで)が慌てて書面を持ち出すのに象徴的に現れていますが、この薬はあくまで「面体変わる毒薬同然。しかし命に別状なし」です。
伊藤家の人々とて、「よもや罪にはなるまいと」(以上、諏訪春夫篇白水社版「東海道四谷怪談」より引用)思って届けたんであり、それによってお岩の顔が崩れ、伊右衛門が愛想を尽かしてくれればと思って薬を託しました。
そして、岩は女の命がかくも無残に変貌したことに憤り、宅悦から全てを打ち明けられて憤死した上、念押しに宅悦にかざした刀で己の首を刺し貫かれて死んだのです。
そして、更に彼女は憤死する前、「この顔が変わった礼を言う為に伊藤家へ」と、鉄漿をつけ、髪を梳こうとするのです。彼女の怒りは伊右衛門よりは、実は伊藤家に対して向かっている。
なぜ、そこまで彼女が怒り、怒りつつも、顔が無残な変貌を遂げつつも、伊東家憎しで向かおうとするのか。それは
「そうとは知らず隣家のの伊藤、わしがところへ心づけ、日毎に送る真実はかたじけないと思うから、乳母はしためへ最前も、この身をはたす毒薬に、両手をついての一礼は、いまいま思えば恥ずかしい。さぞや笑わん、悔しいわいの悔しいわいの」(引用は前出)
これが原動力となっています。武家の妻としてあくまで気位の高い岩が、まさかに自分を陥れるため近づいたとは知らず、日々の差し入れに「乳母はしため」にまで礼を言っていたこと。それが裏切られたことへの、やるかたない憤懣と怒り、そして自分のプライドがガラガラと音たてて崩れ去ったことへのやり場なき怒りと嘆き。
それが岩を尋常ならざる方向へと走らせていくのです。だから、岩が伊右衛門のみならず、民谷・伊藤両家の血筋を絶やしてしまうと言うのは、説得力を持つんです
それでは、岩は伊右衛門を愛していたのか?と言う疑問は、どこから来るのか。それは、やはり岩のプライドと、武士の娘としての気位の高さから来ています。これは、更に血を分けない妹、袖のありようとの比較で明らかになっていくはずです。
伊右衛門は悪だったのか?は、何やらどんどん遠ざかっていくような気がしなくもないんで、ホントにごめんなさいなんですが、この板、当分続けるつもりで勝手にいるんでm(__)mその内、と思ってしばらくお付き合いください。
だって、やっぱり、伊右衛門と岩の「愛」のありようというのは、四谷怪談において何より重要なはずなんで。。。と、言い訳
お岩様は祟るのか
文政10(1827)年に成立したとされる「於岩稲荷来由書上」というのがありまして。ここには今では四谷怪談のモトとなったと定説にされる四谷雑談から取材したと思われる「実説お岩話」が記されているんですが。
これを基として書かれたのが先ごろ映画化された「嗤う伊右衛門」の原作ですが。
貞享年中(1684~1688)御先手組同心田宮又左衛門が54歳で大病を患い、21になる娘のお岩がお家存続の為に婿としてとったのが伊右衛門だったという話です。岩は疱瘡の予後、顔が崩れてしまい、その為か性格もひどく悪かったということに、こちらではなっています。伊右衛門はそれでも婿として田宮に入るには入るんですが、舅の又左衛門の上司である与力伊東喜兵衛の妾と惚れ合ってしまうんですね。で、このお妾さんが喜兵衛の子を妊娠しちゃうんですけど、外聞をはばかって伊右衛門に子供ごと押し付けちゃおうとするわけです。伊右衛門は一度は辞退しますが、喜兵衛に悪計を伝授され、突然に酒色に耽り、今で言うドメスティックバイオレンスに走っちゃうんです。お岩さんは突然の夫の変貌に驚き、悲しんで、人もあろうに喜兵衛に相談するんですが、喜兵衛は岩にとりあえず家を出てどこかに奉公しなさい。その内に伊右衛門を処分して別の良縁を見つけてやるなどと口から出任せ。
喜兵衛の言葉を信じた岩は家を出て奉公に出るんですが、その間に伊右衛門と喜兵衛の愛妾は結婚、子供も無事に生まれる。それを人伝に知った岩は鬼女と化して奉公先を飛び出し、その後、行方不明になってしまいます。ところが田宮家と伊東家はなんと、謎の変死が相次いで断絶の憂き目に遭う。。。
でですね。その於岩来由書上がどこの「稲荷」の話かというと、これが「断絶したはずの田宮家の子孫が運営するお岩稲荷田宮神社」なわけですよ。これがですね、今現在通称「田宮神社」と呼ばれてる、あたしが行ってホンモノだと信じた方のお岩稲荷です。
で、そのハス向かいくらいのところにあるのが、「於岩稲荷立正殿陽運寺」です。
明治時代に田宮神社の方はエチゼンボリに引越してたんですけど、その隙に四谷でお岩を祀る目的で法華宗のお坊様が建立したのがこれです。
でも田宮神社が戻ってきたんで、陽運寺側はなんだって断絶したはずの田宮家の子孫が田宮なのだ?とか言い出して、本家騒動っていうのが持ち上がったんです。これにはいろいろな経緯があるようなんですが、とりあえず田宮家側が持ち出したのが実は岩は貞女であり子孫も繁栄したのだという、四谷美談であって、今に至るわけなんです。
ま、やっぱり田宮さんのおうちが本家本元であろうことはとりあえずは確かなんで、そっちだけ本気でまいっときゃいいのかもしれませんが、陽運寺にはお岩の井戸なるものがある。番町皿屋敷じゃあるまいし、と、当時、四谷怪談を研究するといってる割には何も知らなかったあたしは鼻で哂うということをしてしまった。あれがまずいんじゃなかろうか。。。お岩さんと井戸の関係は、今もあまり判然としてるわけじゃないんすけど、やっぱりなんかあったんではないかという気がしなくもない。
誰の映画だったかなァ?袖が自殺するって設定の。。。毛利正樹のかな?ちょっと曖昧で申し訳ありませんが。それでは袖が直助を井戸に突き落としちゃうんですよねェ
あれは陽運寺のお岩の井戸が頭にあったからかもしれない
あと、お墓は東京都豊島区西巣鴨4丁目の妙行寺にありまして。ここには、なんと!!お岩様が大切にしてた、あの。。。櫛と。顔が変わったことを知る鏡が、埋葬して。。。
1.歌舞伎篇:中村家の二代にわたるお話
中村勘三郎(勘九郎の父親)が「もしほ」と名乗ってた時代の昭和23年三越劇場で上演された四谷怪談では、伊藤喜兵衛を演じた中村七三郎という役者一人が四谷様(歌舞伎ではお岩さんをお岩様・四谷様と呼び、決して呼び捨てたりすることはありません)に詣でなかったんですが、その人が急死してしまいました。
また、勘三郎の家では当時幼かった娘の現・波野久里子が急に腰を突き出し足を引きずるような歩き方を始めました。周囲はまだ3歳の彼女の歩き方の変事に蒼ざめました。実は中村家の畳にどうしたわけかお岩稲荷のお札がじかに置いてあったことが分かり、あわててちゃんと納めました。
時は移って勘三郎の息子の勘九郎が大阪で四谷怪談を上演する際、一同揃って四谷様詣ではしたんですが、今の七之助だけが行かなかった。すると、どうしたわけか七之助が怪我をしたんで慌てて七之助も連れて再度お参りをし直したという事です
2.講談篇:一柳斎貞山の話
視覚的効果をも駆使した講談で一時代を築いた戦前から戦後の講談師7代目一柳斎貞山は四谷様も腕をかかさない人だったのですが、ある時期からぴたりと四谷様に足を向けなくなりました。その理由はいろいろと取沙汰され、貞山自身も言葉を残していますが、ここでは触れません。しかし、四谷様に行かなくなった時分から貞山の話にかげりができてきたとされます。そして昭和41年上野本牧亭。講談師の提灯が下げられていたのですが、なぜか貞山の提灯だけが風邪もないのに1公演中に4度も落ちるということがありました。
伝えられる話は、貞山の死という講談に仕立てられていて、ここから先は多少の演出があるかもしれませんが、伝えられるところはこうです。
4度目に提灯が落ちた時、貞山は息を引き取ったと。貞山の提灯の電球が点滅するのを注意した貞水の目の前で提灯が落ち、その直後に楽屋の電話が鳴り、貞山の死が知らされたと。三遊亭円生が病の貞山を見舞った時、貞山はうわ言にお岩様がと呟いていたとも言います
3.映画篇:監督の急死
「怪談・お岩役者」というお岩様をやる役者が祟りの為に殺されたと装った殺人事件という、まるで高木アキミツ小説の「大東京四谷怪談」みたいな映画が戦前に作られてるんですが、この演出をやるはずだった尾崎純というまだ32歳の監督がクランクインの翌日、原因不明の高熱で急死しました。これも嘘かまことか伝えられる話では、彼の枕元にあった台本は42ページが開いており、次に撮る予定のカットはナンバー13だと。。。。。。
えっと。実はあと、芝居篇で白石加世子に起こったこととかも書こうかと思ったんですが、なんか、いや。思い込み9割だろうとは思うんですが。
右肩がかなり重く痛くなってきて、左肩も凝ってきてて。オマケに昨日切った傷、それほど深くもないのに、さっきから疼いてて。
かなりヤバい精神状態になりそうなんで、ここでやめます。以上の詳しい話とか、その他の「実例」(!!)お知りになりたい方は学習研究社から2002年に出た小池壮彦著「四谷怪談・祟りの正体」が詳しいんで、そちらに当たってください。

- 作者: 小池 壮彦
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2002/05
- メディア: 単行本
四谷怪談あらすじ
本来の鶴屋南北の「東海道四谷怪談」は実に様々な人が入り乱れ、本筋とは関係ないところで忠義と不義が入り乱れ、まっこと大歌舞伎なんすけど。
どこまでカイツマメルか不安ですが、一応、かいつまんで粗筋をとっとと行ってみます。ただし、人間がいっぱい出てきますよ。不安な人は人間関係図とか書きながら追いかけてくださいね。では、参ります
序幕・浅草境内の場
塩冶浪人四谷左門の娘(養女)お袖は、楊枝見世のおもんが病になったんで、換わって楊枝見世に出ています。そこにこう諸な岡信の伊藤喜兵衛・孫のお梅・乳母のお槙らが参詣に来て楊枝を購おうと立ち寄りますが、お袖は彼ら一行の会話から仇の家の者と知り、楊枝を売ることを拒みます。そこへお袖に以前から執心の、元塩冶家奥田将監の小者であり、今は藤八五文の薬売りである直助が居合わせ、その場をとりなします。
一方、四谷左門は暮らしに困って物乞いをしていますが、うっかり縄張りを侵して乞食に痛めつけられています。そこへ通りかかって乞食を追い払ったのが婿の塩冶浪人民谷伊右衛門。彼は転び合ってまで一緒になり、妊娠までしている妻のお岩を左門に取り戻されたままなので文句言いたくりますが、左門は伊右衛門が御用金を盗んだことを言い、盗人根性のものを縁の人にするのは身の穢れとはねつけます。この様子を観ていた伊藤喜兵衛は孫が伊右衛門にのぼせていることも手伝い、伊右衛門を手なずけて塩冶の動静を知ろうと企みます。その喜兵衛に更に近づいてきたのが奥田庄三郎(奥田将監の息子。つまり、直助の元主君)です。彼は非人に姿を変えており、物乞いをして喜兵衛から高家の情報を聞きだそうとしますが態度がおかしいことと持っていた回文状から塩冶の筋とばれかかります。そこに通りかかったのが(しかし、どうしてこ~もうまくしょっぱなから主要人物が一堂に会するんだ、いいけど。歌舞伎だからっていやそれまでだし)お袖の許婚でやはり塩冶の家のものであり今は小間物屋に身をやつしている佐藤与茂七で、何とかその場をとりなします。
お袖は昼は楊枝見世に出始めているのですが、夜は以前から按摩宅悦が営む地獄宿(売春宿)に出ています。直助はそれを知り、一度でいいから思いを遂げたいと地獄宿まで来てお袖を口説きますが拒みまくられます。そこへちょいと遊びに来た与茂七が来て、恐ろしいことにお袖が相手をすることとなります。
お袖は自分はこんなところにでてはいるが、義理ある父や姉を養いたいが為云々かんぬんと言いたてて身体の関係を拒みますが、相手が与茂七と知り、互いに驚き、ちょいとした痴話喧嘩などを繰り広げます。面白くないのは直助です。恋の恨みは恐ろしきもの。彼は与茂七を消そうとひそかに決心を固めます
序幕・おなじく裏田圃の場
与茂七は回文状を山科まで届ける為に目立たないように非人姿の奥田庄三郎と着物を交換します。そんなこととは露知らぬ直助は小間物屋の衣装と提灯を目当てに与茂七とばかり思って庄三郎を殺し、ご丁寧に面体が分からぬようにと顔の皮まで剥いでしまいます(この皮を剥ぐくだりは高橋克彦版小説「四谷怪談」にかなりしっかり書き込まれてて、その方が怖いです)同じ頃、同じ辺りで伊右衛門は舅左門を待ち受けて殺してしまいます。二人は互いの犯行を確認しあい、不適な同盟を結びます。そこに帰宅の遅い父を案じて夜鷹のようななりを(というか、ホントに夜鷹紛いをしてるんですが。しかし実はこうこうと言い立てて身体を許さぬ夜鷹という、地獄宿にいるお袖と同じようなことをしているとはお岩の弁)したお岩とお袖が来て変わり果てた許婚と父親の姿を見て嘆き悲しみます。
伊右衛門と直助は何食わぬ顔でそこに来合わせた体をとり、仇をとってやるからとお袖とお岩に申し入れます。お岩は勿論、お袖も仇の為と直助と仮の夫婦になることを承諾します。
2幕目・四谷町の場
お岩は産後の肥立ちが悪く臥せったままで伊右衛門は傘張り内職を日々のタツキにしています。宅悦の紹介を得て雇った小者の小仏小平が旧主の塩冶浪人小塩田又之丞が足腰立たない難病に罹ったのを治す為、民谷家に伝わるソウキセイという万能の妙薬を盗んで逃げたのを伊右衛門の悪友秋山長兵衛・関口官蔵が引き戻してきたので、伊右衛門は杉戸の中に小平を閉じ込めてしまいます。
伊右衛門の隣家に住む伊藤喜兵衛は乳母のお槙に何くれとなく料理や着物を届けさせていましたが、今日は血の道に効くという伊藤家に伝わる妙薬を持参してきました。お岩はそれを有難がっていただきますが、その薬こそが飲めば面体崩れる恐ろしい毒薬だったのです。
お岩がまさか、そんなことになっていようとは思いもしない伊右衛門は、能天気に長兵衛・官蔵と共に伊藤家を訪れ、小判や小粒入りの吸い物を振舞われています。喜兵衛はお梅の恋心を打ち明け、嫁に貰ってくれぬかと伊右衛門に聞きますが、伊右衛門は妻ある身と断ります。それを聞いた喜兵衛は実はかくかくしかじかと、毒薬を届けたことをコクります。伊右衛門は、ほいじゃと、嫁取りと引き換えに高家仕官を喜兵衛に約束させます。
民谷家に来ていた宅悦はお岩の苦しみようにアタフタしてましたが、その顔の変化に腰を抜かさんばかりに驚き、理由をつけて家を出ます。帰ってきた伊右衛門はお岩の顔の凄まじさに驚きますが、逆に肝が据わり、蚊帳や着物や櫛を質草にと取り上げようとします。
伊右衛門は宅悦に金を掴ませ、岩と不義をするようにと言いつけます。宅悦はこわごわ密通をしようとしますが、岩の激しい抵抗にあい、実はこうこうと全てを打ち明けます。怒り狂った岩は伊藤家に「礼」を言いに行くと宅悦に鉄漿の用意をさせ、髪を梳きますが、梳くそばから髪は抜け(この辺りが有名な髪梳きの場です)握り締めた抜け髪から血が滴ります。あまりのことに憤死したお岩は更に念入りに、自分が宅悦に斬りかかった刀(柱に刺さってたんですよ)で首を切り裂かれ、完全に死んでしまいます。(ここんとこ、よく覚えといてください。お岩は「自分で死んだ」んです)
杉戸の中で縛り付けられ、猿轡をかまされていた小平は一部始終を見聞きしており、伊右衛門を罵りますが、伊右衛門に殺され、しかも不義密通の汚名を着せられて戸板に裏表にお岩と一緒に打ち付けられ、川に放り込まれます。この時、小平の折られた指が蛇に変わるご愛嬌もあります。お岩の死と共に突然飛び出した猫が大きな鼠に食らわれたり、赤ん坊が大勢の鼠に引きずられていくというお楽しみもあります。鼠というのは、お岩が子年の生まれ(あたしじゃん。。。(・・;))からきています。
何食わぬ顔でお梅と内祝言を終える伊右衛門ですが、床入りの時にお梅にお岩が取り付き、伊右衛門はお梅の首を落としてしまいます。慌てて外に出ると赤ん坊を食っている小平がいますんで、伊右衛門はそいつもぶった斬りますが、それは実は伊藤喜兵衛でした。
3幕目・隠亡堀の場
祝言の日に新妻と舅を相次いで殺害してしまった伊右衛門はそのまま遁走。お梅の母お弓とお梅の乳母お槙は非人にまで身を落として仇である伊右衛門を探しています。しかしお槙は民谷と伊藤の血をことごとく絶とうとするお岩の亡霊に川の中に引きずり込まれ、お弓もまた偶然に出会った伊右衛門によって川に突き落とされます。伊右衛門の実母お熊は現在は小仏小平の父である仏孫兵衛の後妻に落ち着いているのですが(なんてややこしいというか、回る因果の火の車というか)ヤバい立場に立った伊右衣文を死んだと世間に見せかけるために俗名民谷伊右衛門と仕立てた卒塔婆を作って隠亡堀に来て伊右衛門と会います。お熊から高家仕官のためのお墨付を受け取った伊右衛門ですが、盟友秋山長兵衛が伊藤家惨事の咎人としての疑いがかかって高飛びをするから路銀をよこせと迫る為、そのお墨付を渡してしまいます。一方、袖と仮の夫婦として所帯を持った直助は今は権兵衛と名を替えて鰻かきを生計としていますが、その鰻かきに鼈甲の上物の櫛が引っかかり、今日の獲物と持ち帰るところ。隠亡堀で釣り糸を垂れる伊右衛門が引っ掛けたのは戸板でして、これが菰をめくると殺したはずのお岩と小平。有名な戸板返しの場面です。
更に非人の姿で回文状を抱えた与茂七までもが加わって、暗闇の中、だんまりにて伊右衛門・直助権兵衛・与茂七三人が探り合い、与茂七の回文状は直助に渡り、直助の鰻かきは伊右衛門に真っ二つにされ、直助の柄は与茂七が。だから因果は巡る、心火の中。。。。
4幕目・深川三角屋敷の場&小塩田隠れ家の場
直助権兵衛と仮の夫婦として書体を持った働き者のお袖は香花を売ったり洗濯の仕事を請け負ったりしています。巷では万年橋に流れ着いた男女を貼り付けた戸板の噂。洗濯頼むと古着屋の庄七が持ち込んだ着物は正に、その戸板の男女の女が身につけていた湯灌場物でした。姉岩の着物に似ていると不審がりながらもお袖は着物を盥に漬けておきます。そこに戻ってきた直助権兵衛に渡された櫛は、こちらは紛れもないお岩が大事にしていた母の形見。盥の中から手が出て直助の腕を掴むシーンも、又有名です。そこへどんな力で迷い込んだか按摩宅悦がふらふらと訪れます。宅悦にお岩の最期の様子を聞いた袖は覚悟を決め、敵の助太刀をしてもらうために直助と「真の夫婦」になる為の固めの酒を酌み交わします。
ところが事が終わった直後に現れたのが死んだと思っていた許婚の与茂七。実は彼は旅先で病を得、江戸で何が起こっているかまるで知らぬままにやっと戻りついたのですが、隠亡堀で回文状を直助に拾われたため、自分が手にした「権兵衛」と焼印のついた柄を頼りに訪ねてきたのです。昔の亭主と今の亭主。進退窮まったお袖は二人にそれぞれ因果を含み、殺しの手筈を伝えます。
さて。舞台変わって、こちらは仏孫兵衛が家。ここでは足腰立たない難病に罹った小塩田又之丞が匿われていますが、後妻のお熊は彼を厄介者扱い。オマケに小平の息子である次郎吉(実は4幕目の最初にお袖の家に蜆売りに来てたりします。因果は巡る。。。もう、いいか)をいびりまくり。おまけに小平の亡霊が次郎吉の身体を使って古着屋庄七から蒲団やカイマキを持って来たため、又之丞は盗人呼ばわりされる羽目に。たまたま仇討ち同士の配分金を持って訪れていた塩冶浪人赤垣伝蔵は又之丞が盗人に成り果てたと思って同士から外されるであろうと告げて帰ってしまいます。
進退窮まって切腹しようとした又之丞の前に小平の亡霊が現れ、ソウキセイを渡して消えます。ソウキセイのおかげで信じられぬ勢いで病が癒えた又之丞は義士の面目が立つと喜びます。
さて、再び舞台は変わって、こちらお袖・権兵衛・与茂七の三人三様絶体絶命、三角屋敷。
お袖に言われ、それぞれに行灯の火が消えたのを合図に屏風を突き刺した権兵衛と与茂七が見たものは、二人の刃に突き刺され、虫の息のお袖。与茂七には知らぬこととはいえ、亭主と誓った相手が生きていたのに他の男と枕を交わした面目なさを謝り、来世は同じハスの上での夫婦を誓い、権兵衛には父姉の仇を討った後で臍の緒の書き物を頼りに一人きりの実の兄を探してほしいと頼みます。
ところが。あ~~。因果は巡り、因果は回り、因果はうろたえ、因果は走る。
お袖が探すその兄こそ、実は直助権兵衛。更に自分が殺してしまったのが旧主奥田将監が息子庄三郎と知った直助は虫の息のお袖の首をはね、与茂七に回文状を託し、己は自害して果てます。
5幕目・蛇山庵室の場
心の垂れ幕がかかり、伊右衛門の夢の場です。
秋山長兵衛を共に連れた殿様姿の伊右衛門は鷹狩に来て、ある百姓家で糸紡ぎをする美しい娘(実は亡きお岩)と出会います。二人はすぐに心も身体も打ち解けあい、長兵衛は面白くないので出て行って、お化け燈籠などに驚き逃げます。伊右衛門も夜が更けて帰ろうとしますが娘に止められ、更に正体を現したお岩の亡霊に襲われます。
うなされる伊右衛門に百万遍の念仏を唱え続ける在所の人々。そこへ伊右衛門の実父である進藤源四郎が訪れます。伊右衛門は覚めても産女姿の岩に襲われます。更にネズミに苦しめられてかなわぬからとお墨付を返しに来た長兵衛を縊り殺すお岩。そのお墨付はネズミに食い破られ、使い物にならなくなっていました。伊右衛門を勘当した源四郎もまたなぜか首を括った自殺体となり、お熊も岩に食い殺され、民谷の血は伊右衛門一人を残して完全に絶えました。
その伊右衛門も駆けつけた与茂七の一刀を浴び、雪しきりに降り、拍子幕
この後、雪を用いて忠臣蔵十一段目、目出度く夜討ち。。。。。。
伊右衛門の悪(1)
あ。まず、訂正です。下で佐藤與茂七のモデルを江頭矢茂七と書きましたが、矢頭右衛門七の間違いでした。ごめんなさい。
矢頭右衛門七は浅野の殿様「ご乱心」の際にはまだ17の前髪でした。父長助が志半ばで亡くなった為、その遺志を継いで義士の列に加わり、大高源吾らと同居して吉良の情報収集を勤めたとなってます。許婚は多分、いなかったと思います。
さて、本題に移ります。
伊右衛門は忠義なんぞはなから考えてもない不忠義者です。しかし、不忠義者である前に、彼の頭には最初から主君の仇なんぞこれっぽっちもない。いや。多分、彼にとって浅野家というのはたまたまそこにいたから浅野家臣になっただけのこと。だから、平気で吉良への仕官も頼めます。「忠臣蔵外伝四谷怪談」ではこの仕官について佐藤浩市の伊右衛門はそれなりに悩み、考え、ってことをやりまくるのですが、南北の描く伊右衛門はな~ンも考えてません。あっさりと飛び越えます。というか、飛び越えるほどの柵すらない。
彼の論理は実は単純で、とりあえず自分がやりたいことをやる為に、邪魔なものは排除する。ということです。
お岩がほしいと思えば国の御用金を盗み、それがばれてお岩を取り戻せないと分かると舅を殺め、その岩も鬱陶しくなってくるとお岩を「排除」してお梅へと走ろうとし、お岩が憤死するとあっさりとこれを肯定して小平を殺して川に流す。
そればかりか、伊右衛門は岩と自分の一粒種の息子の安全までも自分の都合勝手で脅かそうとします。
四谷怪談では有名な蚊帳を巡る駆け引きというのがあります。駆け引きって言っていいのかな?ちょっと違う気はするが。。。
小遣いもない伊右衛門が質草を探してお岩を責め立てるシーンなんですが。岩の着物を取り上げてもなお足りないと伊右衛門は岩の鼈甲の櫛に目をつけます。しかし、それは母の形見の櫛(この櫛は後段、袖に岩の異変を告げるものとして大活躍(?)することになります。大概の映画で蚊帳の件はなくとも櫛には触れられてます)こればかりは。。。と哀願し、縋りつく岩にさしもの伊右衛門もそればかりは取り上げることも無理と分かり、次に目をつけたのが蚊帳でした。
蚊帳がなければこの子が蚊に刺されると泣いて縋る岩に、蚊を追うのは親の役目とにべもない伊右衛門。しかし岩は自分の体が弱っているため、蚊を追う力も鈍っているわけで、蚊帳がなくなれば本気で困ると意固地になります。
見直さなきゃいけないんですが、記憶に間違いがなければ森一生版「お岩の怪談」でこのやり取りがまんま使われてます。更に、原作では蚊帳を取り上げようとした岩が蚊帳で手をいためて血が滴るという設定なんですが、これも確かそのまま使われてます。この流れる血というのが、後の岩の変身のシーンへの呼び水というか、前ふりというかになるわけです。
下であたしは伊右衛門というのは、とにかく悪なんだぜ。胸が悪くなりそうなさ、って書きましたが。しかし。と、ここで疑問がわいてきます。
伊右衛門は自分勝手で自分都合で、自分のやりたいことの成就の為には女房が死のうがお家の金を盗もうが不忠義のそしりを受けようが、全然全く知ったこっちゃない。
悪事が露見しても悪事を重ねる羽目になっても「首が飛んでも動いてみせるわ」(森一生の映画では蛇山庵室のところでそう嘯きますが、現行歌舞伎では隠亡堀でこの台詞を言う事になってます。ちなみに南北の最初の原作ではこの台詞はなく、これは上方での改作「いろは仮名四谷怪談」において考案された台詞ですが今では伊右衛門といえばこの台詞というほどに象徴的なものとなっています。ちなみに現行演出でこの台詞がどこで使われるかというと、隠亡堀の場でお梅・喜兵衛の仇を討とうと伊右衛門を探す梅の母お弓を川に落として水死させた直後です)と嘯いて見得をきる、色悪の典型・ピカレスク日本一!!という感じのこの男。実は心底悪人であるのか?ま、悪人だから人も殺すし金も盗むけど、彼は「生来の悪人」ではなく、「悪人になって行った」「悪人となる羽目に陥った」のではないか?
いくつかの映画も引用しながら、原作をも引用しながら、このことを解き明かしていきますか。あ、そういえば四谷怪談の全体のあらすじって、あたし、まだ書いてないんだっけか。やっぱ、一度ちゃんと書いとかなきゃいけないかもね。ちょっと待っててね
四谷怪談とは何か(3)
さてと。忠臣蔵の、ま、平たく言ってしまえば「外伝」で明らかにあり、忠臣蔵の義に対して不義の話であるのが「四谷怪談」であるというのはなんとなく、お分かりになっていただけたかと思うんですが。分からなかったらごめんねm(__)mですが
なんで不義なの?という具体的な話は、よく考えれば全然してない。義は分かるが不義は分からん。。。よな。。。
民谷伊右衛門というのは塩冶浪人です。元塩冶渦中の人々は主君が殿中で高師直に斬りかかっちゃったもんで、お家取り潰しの憂き目に遭い、散り散りバラバラになってしまいました。散り散りバラバラになりながら、大石内蔵助(大星由良之介)を中心とした血気のものや忠義の者たちは血盟を取り交わし、ある者は非人に、ある者は商売人に姿を変え、ある者は浪人として日々をつましく生きながら仇討ちの機会を虎視眈々と伺っている。。。はずです。現に伊右衛門の妻の妹の許婚である佐藤與茂七(モデルは江頭矢茂七)は仲間と共に回文状を預かって情報収集役を買って出てるし。
ところが伊右衛門と来た日にゃ仇を討つどころか、塩冶お取り潰し騒ぎでゴタゴタする前にお家の御用金を盗み出して、それを厚かましくもお岩と結婚する時の結納金として舅になる四谷左門に差し出してるんですよね。なんだってこの金が盗まれた御用金だってばれてるかというと、その金の一両一両に塩冶の極印が押してあったと。ばっかじゃないの?とか思うんですが、そ~なんだから仕方がない。あれはお取り潰しの際の配分金だとかごまかすんですが、結納を交わした時は騒動の前と左門に詰め寄られ、二進も三進も行かなくなった伊右衛門は左門を斬り捨てちゃう。
ちょうど、その同じ頃にお岩の妹お袖に横恋慕してた、元塩冶家中の小物であり、今は藤八五文の薬売りをしてる直助が恋の恨みからお袖の許婚、與茂七を殺す(実は與茂七と着物を取り違えていた奥田庄三郎であり、この奥田庄三郎というのは直助の旧主の息子なんですが)。お互いに「お前も悪よのォ」ということになり、仇を討ってやるからと言い含めてお岩・お袖を二人は手に入れる。
仇なんか討つ気がないのは明らかです。だって、その仇は自分たちなんだから、討てといわれて討ちようもない。
念願の岩を手に入れたはいいが、岩は産後の肥立ちが悪く臥せりがちになり、伊右衛門は内職で傘張りなんぞをしているものの、日々のタツキにも困る始末で、鬱々とした日を送る。好きで好きで舅まで殺しても手に入れたかった岩なんだけど、いざ一緒になって「生活」というのを始めると、なんともこう、陰々滅滅とした気分が募るばかり。そんなところに伊右衛門にとっちゃ救いの手を伸ばしてきたのが隣家に住む、高師直家中の伊藤喜兵衛とその孫娘のお梅だったわけです。
若く美しい梅と、高家への仕官。主君の仇だ?んなことは伊右衛門、寸分も知ったことじゃありません。そればかりか小者として雇った小仏小平が旧主である塩冶浪人小塩田又之丞の難病を治そうとして田宮に伝わる妙薬ソウキセイを盗んだことに激怒して小平を仲間と共に拷問にかける始末。彼が少しでも「忠義」の気が残っていれば、討ち入りに加わろうとする旧主の病気を治すが為の小平の一心に同情しないわけがない。
あまつさえ、伊藤家から産後の肥立ちの妙薬としていただいた、実は毒薬を飲んで顔が変わり、憤死した岩の死をごまかすために、小平との不倫によって成敗したとして戸板の裏表に貼り付けて。。。
四谷怪談とは何か(2)
民谷伊右衛門というのは不忠義の人です。オマケに平気で人殺しです。ですが赤穂浪士、もしくは塩冶浪人というのは、その殆どが隠忍自重の人たちです。忠義の為に1年も待ってます。待った挙句に何やったかというと、仇討ち・討ち入りという名の大量人殺しです。人によっちゃ赤穂浪士の討ち入りを当時の一種のテロだとまで言っちゃうこともあるんですが、確かに茶坊主まで無差別に殺しちゃったことも考えれば、あれはやりすぎじゃんって気もしなくはない。
それがなんだって今に伝わる「侍の鏡・忠義の群像」というものが出来上がったかっていうと、それはやはり「仮名手本忠臣蔵」が犯人であろうということになります。なんたって時は元禄花吹雪です。太平の世で侍なんてものは意味を失っています。意味を失った侍というものが、忠義というものが、平和だけど何となく幕府が危ういんじゃないかって話もあるような、実はどっかで不安定な時代に芝居小屋の板の上で甦る。甦って、時の幕府に対する批判というものになっている。
そうなんですよね。忠臣蔵っていうのは実は幕府批判だらけのお芝居だったんですよ。ところが、渡辺保によると、実は忠臣蔵というのは幕府批判の忠義の侍をも超えて、実は忠義批判だという話になってくる。忠義とかじゃなくて、あれは連綿としたホモセクシュアルの話で、恋人を切腹に追い込まれて。。。って話になってくると。
では、なんだって忠臣蔵は。。。というと、それは近代の問題が色濃く反映してきます。要するにですね、明治から第一次世界大戦・第二次世界大戦へと突き進む日本において、忠臣蔵というのは天皇を中心とした神の国。。。って、近い昔に誰かが言ってた気がしますが。その、天皇を中心としたどうたらっていうのを強固にしていく上で、非常に役に立つというか、都合のいい話だったわけです。
四谷怪談というのは、だから原点としての幕府批判・忠義批判の芝居としての「仮名手本忠臣蔵」を非常に端的な、分かりやすい形で南北によって翻案された話であるともいえる。
四谷怪談と忠臣蔵というのは表と裏の関係であるとは、よく言われる言葉ですが、ホントに「表」なのは実は四谷怪談かもしれないんです
忠義忠義って喜んでるけど、でもお前らがホントにほしいのは、こういうこぼれ義士であり、ホントに観たいのは忠義からはみ出したお前らと同じ地平で暮らしてる男の話だろう。
それが、忠臣蔵における斧定九郎のイメージを持ち、それでいながら早野勘平の要素をも持つ歌舞伎きっての色悪、民谷伊右衛門を生み、それに翻弄され、後に翻弄させる歌舞伎きっての幽霊、お岩を生み出したのです
この項、続きます。
四谷怪談とは何か(1)
横山泰子著「四谷怪談は面白い」(平凡社1997・入手可)によると1992年6月、広島市で女子高生・女子短大生に対して調査したところ、およそ85%が「四谷怪談」及び「忠臣蔵」という話を知っていたらしいです
しかし、ではどこまで知っているのかということなんですけど。。。
おそらく、ここを読んでいただいてる方も、殆どの方が「四谷怪談」というのがいわゆる「お岩さん」の話で、夫に裏切られて毒殺されたお岩という女が祟りをなしていく話で。。。ってことはご存知だと思うんですよね
この話は下でも書きましたが、鶴屋南北によって書かれた歌舞伎が世に広く知られる最初です。本名題は「東海道四谷怪談」。初演は文政8(1825)年7月26(27)日江戸中村座です。
なんですが、実はこの演目は初演時、珍しい形で上演されました。
竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作として、当時から広く知られていた「仮名手本忠臣蔵」との組み合わせ上演です。なんで「仮名手本」かを事のついでに言っときますと、赤穂浪士というのは一般に47人ってことになってます。48人説もあるんですが。で、いろは文字というのは47文字。ね?単純な話でしょ
で、そう。その忠臣蔵はというか、赤穂浪士討ち入りは元禄15(1702)年の12月14日だったんですけど、人形浄瑠璃として取り上げられたのが寛延元(1748)年です。初演以来人気を博したこの作品は、独参湯とまで言われるほどで、なんだかんだでしょっちゅう、手を変え品を変えちゃ上演されてました。
東海道四谷怪談は、その「独参湯」との組み合わせ上演で、ってことは言ったか。
組み合わせ上演というと、何のことかよく分からないでしょうけど、まず初日「忠臣蔵」第一段から第六段。で、中入があって「四谷怪談」序幕から三幕目隠亡堀(オンボウボリ)の場まで。翌日はその隠亡堀の場から幕が開き、「忠臣蔵」第七段から十段までをやって「四谷怪談」四・五幕、で最後に「忠臣蔵」十一段目でめでたく夜討ち。と、まっことに、ややこしい方法で上演されたわけです
現今の歌舞伎というのは通し狂言と銘打っても、長くて昼夜ぶっ通しくらいの分量でしか上演されないので、ヘタしたら忠臣蔵通しとか言いつつ実は粗筋を追うくらいになりかねないんですが、江戸時代に通しといったら、何が何でも通しです。朝から夜まで平気でやります。二日かけて、方や忠義の義士の討ち入り、方や不忠義の浪人と妻の幽霊話を見せられる方も見せられる方ですが、やる方もやる方です。
しかし、実はこれを組み合わせて入れ子形式でやるには理由があった。
忠臣蔵外伝四谷怪談の感想でも書きましたが、この二つの成立年代も作者も話の骨子もまるで違う二つの大曲。。。じゃねェや、大名題は文字通り、裏と表のオハナシだったのです。というのも、実は民谷伊右衛門は浪々の身となった赤穂藩の元家臣であり、その妻岩の妹お袖の婚約者である佐藤与茂七及びその盟友の奥田庄三郎は討入り決起の日を待ちながら、情報を集めたり回文状を持ってたりするという人だったんです。更に言えば岩・袖姉妹の父、四谷左門もまた赤穂(というより歌舞伎では塩冶)浪人であり、後に袖と夫婦となる悪党直助は、奥田庄三郎の父に仕えていた中間(チュウゲン)でした。で、もっと凄いのが何かというと、伊右衛門を見初めて四谷怪談の悲劇の幕引き役となってしまうお梅の祖父伊藤喜兵衛というのは、人もあろうに塩冶の仇敵高師直(吉良上野介)家臣で、伊右衛門はこの伊藤家に婿入りすることで本来仇敵であるはずの高家に仕官を目論んでいるのでした。
と、ここまでで、実は人間関係の主だった所は既に述べられてしまってるんですが、かなりややこしいですよね
ごめんなさい。ちょっと休憩です









